チャネルの雑記

いろいろ語りやーす

【62】スーパー盲腸になった話3

なんかちょうど最近、盲腸と戦った友人から退院報告がたまたま来ました。無事に退院、おめでとう!

 

※この記事あたりからいろいろ下品なワードが出てくると思います。苦手な方はバックしてください。

 

 お医者様から聞こえたのは耳の疑うような言葉でした。

「盲腸、正確には急性虫垂炎と呼びますが、重度になると腹膜炎を併発します。腹膜炎というのは、虫垂に穴があき、腹部を覆っている膜に炎症が起きることです。このままだと、しにやーす」

 

いや、「しにやーす」とは言われてないですけどね。もちろんそんなお医者様ではなかったですけど。ちょっと表現柔らかくしたいじゃないですか。だって字面怖すぎ。お腹に炎症。つまり盲腸(虫垂)という大腸のさきっぽだけが悪くなっていた状態から、周りの腹部にまで悪影響が及んでいる状態ということです。

 これはヤバい。とにかくヤバい。手術していつ学校に通学できるようになるかな~とかそんな状況じゃなくなってきました。英語は早々にサボってこれ以上行かないと単位が危い。スペイン語も期末試験がそもそも受けられるかわからない。世界史概説、ちゃんとコメントシートまじめに書いてたのに…。

 そんな目先のことより、人生全体について考えなければいけません。続けて先生の話を聞きます。

 

youtu.be(唐突に入る最新動画)

 

虫垂炎は腹腔鏡手術が多くなっているという話はしましたが、秋吉さんは緊急状態なので開腹手術になります。しかも検査はいろいろしたものの、正直お腹を開いてみないとわからない部分も多く、悪い部分を一気に取り除けるかもわかりません。その場合は、複数回にわたる可能性があります」

 

ファーwwww。ラーwww。ソミレドーーwww(錯乱状態)。

 

下手したら、数か月?1年?でももうこういわれたら僕にできることはありません。お医者様にできる限りのことをしてください、僕はただ従います、という感じでした。

 

「今日はもともとは日曜日でお休みだったんですが、外科の優秀な先生をお呼びします。その方に手術を行っていただく予定です。」

 

あ、ありがたい。休みの日に呼び出して本当に申し訳なさすぎるけど、そんな方がいるんだ…と思えました。よろしくお願いいたします。

 

で、すこし待って先生がご到着。この先生を仮名、久遠寺先生としましょう。なぜならかっこいい苗字だから。実際の先生は、物腰柔らかく、笑顔が素敵な先生です。

 

久遠寺先生「手術を担当します、久遠寺です。よろしくお願いします。検査結果を見ましたが、確かにだいぶ進行してしまって危険な状態です。今日、手術をしましょう」

 

youtu.be (一人暮らしをはじめ、ウキウキしていた矢先のこと)

 

ふつうは手術前日は食事制限をして…とかあるのでしょうが、とにかく僕の場合はお腹をかっ開かなければやばい。そういうことだそうです。もうこの時点で意識朦朧な中きいてます。

わからぬなら 開けてみせよう おなか

 

 「これはどうしても手術前に許諾をいただかないといけないので申し上げますが、状況によっては人工肛門を設置することもあるかもしれません。本当にひどい場合なので、ないと思いたいですが…。もしそうなった場合の、サインをいただけますか」

 

ええ、もうなんでもサインします。人工肛門か。なんか聞いたことはあるけど、よくわからない。それでも助かるならやってほしい。いっそ脳も人工にしてもらって、もうちょっと数学ができる頭にしてほしい。てか人体の8割とかもし人工になったら、それは人間と呼べるんだろうか?サイボーグ?サイボーグ秋吉。プロレスラーにいそう。それかR1グランプリに出る芸人とか。

 

このときの状態だと、もうなんでもサインしてたと思います。腹部の猛烈な痛みに加え、38度後半の高熱。「7000億 借金したいので、連帯保証人のサインの欄にお願いします」って言われてもしてたと思います。

 

 

 いろいろもろもろサインをして、いよいよ手術です。手術直前に、手術部分の毛を取り除くそうです。看護婦さんに、おへその毛を取り除いてもらいます。

 

 「緊張しますよね、がんばってくださいね」

 

はい、なんとか耐えようと思います。がんばるのは僕じゃなくて、100%先生なんでしょうけども。

 

さあ、手術室に向かいます。付き添ってくれた母ともここでいったんお別れです。母が内科に連れて行ってくれなかったら、この状況にすらなっていなかったかもしれない。本当に助けられました。とりあえず、やることやってもらおう。

手術時の服、上着?というんでしょうか。あのエプロンみたいなやつ。あれをつけます。そして手術台に乗せられます。

頭上のライト、クソデカい。うわ、医療ドラマで見たやつそのまんまです。ライトがつくときに「ガチャーン」て音がなるやつ。いよいよ本当に手術されてしまう。いやでも緊張します。

 

 でも。確かこの手術室で、ポルノグラフィティの曲がかかってたんですよね。たぶん「ミュージック・アワー」。とりあえずボーカルの岡野さんの声が聞こえたのは覚えてます。

僕の好きそうな曲を選んでくれたんでしょうか。最高、ブチ上がり。「君が胸を焦がすから~」焦がしちゃったのは僕~。

 

youtu.be(ミュージック・アワー/ポルノグラフィティ)

 

 ゾロゾロワヤワヤ、手術準備もそろったようです。緊急の手術なのに複数人動員して、本当にありがとうございます。

 

先生「それでは、手術を開始します。全身麻酔で、口から空気を送り込みます。合図をしたら、息を思いっきり吸ってください」

たしかこんな指示だったと思います。

 

酸素ボンベのように吸入器をつけて、合図を待ちます。

お、なんか空気がきた。

 

 

ふあああえあああああ!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全身麻酔ってすごいですね。当たり前ですけど、手術が終わるまでもちろん起きることはありませんでした。目覚めたら、台にあおむけのまま病床に移動しているところでした。まじで一瞬、あれなにしてたっけ…ってなります。

 

母と、何人かの看護婦さんが付き添ってくれて、なにか声をかけてもらったような気がします。やったーまた母の顔が見れました。「がんばりましたね!オペ終わりましたよ!」

おお、とりあえずなんとか終わったらしい。なにやらお腹が重いけど、無事生きている。ありがとうございます、久遠寺先生!!

 

 8時間にわたる大手術はなんとか終了。果たしてこの先は…

 

【61】スーパー盲腸になった話2

というわけで続きです。

 

 どうも単なる腹痛や熱ではなさそうだと思うようになってきた週末。遊びに(来るつもりだった)きた母はベッドでウンウンアーアーうなる息子を見てさすがに心配になり、近所の内科へ行くことにしました。このとき「盲腸」という単語は聞いたことぐらいはありましたけども、なんかお腹の痛くなる病気という認識ぐらいしかなく、全く頭に浮かんでいませんでした。

 

(最近の動画では、お盆やりました)

 

 病院嫌いでございました(今もだけど)私、さすがに重い腰(というか腹)をあげます。もう正直体を起こすだけで

 

「んああああああ!!」

 

っていう感じ。そこまで叫んではないけど。

 

 近所の内科は歩いて10分。「お腹がやけに痛む、熱がある」ということを受付に伝えて、ソファーにぐったり。そんなに待たずに通してくれた気がします。で、ベッドに寝かされます。「そこに寝てくださいね~」うん、もうずっと寝ていたいですここで。布団をくれ。

 

で、触診というやつですね。優しいおじさま先生に診てもらいます。

 

 

 先生「ここ痛みますかー??」グイグイ

 

 ぼく「うああっ!!痛みやす!!!」

 

 先「あ、はい。盲腸ですね~」

 

はい確定。うーむさすがお医者様。ワイルドスピード。このスピードで日本の政治もやってほしいです。

 

あーあ、なんかめんどくさい病気なっちゃったよ…学校どうすんだ…という憂鬱な気持ちになります。かといって、現状が全くわからない不安な状況からは解放されたことに安堵する自分もいました。

自分は昔から病院にかかっていろいろ治療してきてもらった経験があるのですが、病気を告げられた時って不思議な感情になるんですよね。「うわ、これから治療とかで痛いのかな…でもこれでお医者様に治してもらえるってことか…」みたいな。たぶんいろいろ痛かったりするんだろうけど、健康に治してもらえるならがんばろう…というマイナスの気分とプラスの気分が入り混じった感じなんですよね。

 

 そのようなプラスの感情があったのもそれはそのはず、おじさまお医者様にお話を聴いてみると、「最近の盲腸ってのは、軽く手術をして1日入院するぐらいのものですから、2.3日あれば健康になりますよ」とのこと。

ほう!なんか今はクソ痛いけど、それぐらいでなんとかなるのか。そう思ったからなんですね。

 

 本当に初期の症状だとレーザーを照射して「散らす」(病状の進行を止める)ことで経過観察にとどめることができるそうですが、さすがにぼくの状態だとそれは無理。でも腹腔鏡手術というのがあって、お腹をおモッキリあけなくても局所的に手術することができるそうです。盲腸はなってしまった以上 切除するしか方法はなく、開腹するかこの方法が主流のようです。

 

なんだ、それなら楽そうだ。麻酔も局所的に使うだけ。術後の心配もなさそうです。フン、あんなスペイン語の試験なんか行かなきゃよかったぜ、とか今になって謎に偉そうな気分になります。遅い。

 

 

 手術はするしかない以上、覚悟を決めます。タクシーを手配してもらって、書いていただいた紹介状を持って手術が可能な総合病院へ送ってもらいます。あーあ、せっかくサークルで仲いい友達とかできてきたのになー…とか思ってた気がします。

運転手さん、ぼくは今から手術とやらを受けてきます、応援してください…とか考える余裕はなかったかも。正直まあまあ痛かった。動くたびに「hんあああいい!!」と心の中で言ってました。

 

[https://youtu.be/nMfjMLlEWa41:

embed]

(実際の音声)

 

 というわけで車で20分ほど、さまざまな設備がそろっている総合病院に着きました。紹介状を持っているのでスムーズに通していただいて、いろいろ検査を受けます。どんな状態になっているのか、より詳しく確認します。「はやく手術して、楽にしてくれー!」と言いたくても、そうはいきません。手で触って「あ、盲腸ですね。じゃ、手術やりやーすw」という雑な流れでされたら、命がいくらあっても足りません。まあ命自体は3コぐらい欲しいけど。

 

正直このあたりはそれなりの高熱がもう出ていてあんまりはっきりとした記憶がないんですが、(妄想で付け足しながら)できるだけ書いておきます。

 

 まずは問診、および触診。お医者様とお話して、病状を説明していきます。やっぱり左下腹部が触られると痛い。盲腸で間違いなさそうです。

そして血液検査やレントゲン検査。うーむ採血の針ってそれなりに痛いな…とか思いながら。のちに毎日採血しなければいけない状態になるとは、このときは思いもしません。まだ「血って、けっこう黒いンゴねえ」とか思ってました。

 

X線もやりましたね。あんまよく違いがわかんないけど。数学は関数でくじけたので(証明問題とかもクソだったけど)、yとかxとかよく存じ上げません。

 

ま、ここまではたぶん誰でもやるんですよね。盲腸になった人なら。

 

 

ところがどっこい。

 

 

どうもお医者様の顔が険しい。詳しくは覚えてませんが、白血球の数字とかが確か異常すぎるとかだった気がしますね。とりあえずなんかこう、「あれ、ちょっと普通とちがうネ」という雰囲気が伝わってきました。

 

白血球?あの中学の理科でやった?

 

酸素を運ぶのが赤血球。悪い奴を退治するのが確か白血球。ええやん。戦うやつが多いほどええやん。

 

ただまあ、白血球が多いということはそれだけ悪い敵が増えまくっているということ。熱もどんどん上がっていきます。

 

 先生「ちょっと、ほかの検査もしましょうか…」

 

というわけでさらに検査追加。なんだかよくわからない暗い棟まで行って、今度はさらに大仰な検査になりました。

 

超音波検査。CTスキャン

 

おお、なんか医療ドラマで聞くようなワードたちです。なんか言葉がかっこいいですよね、超音波検査、CTスキャン。「じゃ、CTスキャンやりましょう」って言ってみたい。小さいころのお医者さんごっことかで言ったらウケそう。大人に。

 

とか今なら軽口たたけますけども。当時の徐々に高まる不安感といったらなかったですね。歯医者さんの治療中で削られてるときに、

 

「あっ」

 

とか言われたらビビりますよね。めちゃこわい。そんな感じです。わかりにくいな。

 

検査結果を見るたびに、先生たちの顔が険しくなっていきます。うん、なんか途中からやけに人が増えてた気がします。

 

誰なんだあなたたちは。どこの人なんですか。僕は何をやってしまったんですか。手術はいつするんですか。人はなぜ生まれたんですか。

悶々と考えてもなにもわからないのに、高熱君の頭はいろいろ想像してしまいます。予想外の長い検査時間。先生たちはウンウン協議しています。

 

盲腸ってよくある病気じゃないのか?そんなに考えなければいけないのか?

 

実際 よくある病気で、昔からあるから研究もされてきました。なってしまう原因こそわからないにせよ、治療方法はちゃんと確立されている病気です。

 

もしかして僕はそんな単純にはいかないぐらいに進行してしまったんだろうか?

長いこと暗い廊下の長いすで、母と待ちました。母なんか検査すらなくてひたすら待つつしかないのだし、もっと気が気でなかったかもしれません。ほんとうにたくさん迷惑をかけてしまいました。

 

 

そしていろいろ追加の検査も終わり、いよいよ診察室に呼ばれます。

そこで聞いたのは、衝撃の言葉でした。

 

 

 

 

先生「病状が進行したことで虫垂(悪くなったところ)に穴が開き、膿がどんどん大きくなっています。腹膜炎を併発しています。今すぐにとりかからないと危険な状態です。緊急手術しましょう」

 

 

…アレレ??? これ、人生ヤバめ??

【60】スーパー盲腸になった話1

 

 

 どうもこんばんは。今回は大学1年生のころ、盲腸になった話を書こうと思います。

 

 盲腸…虫垂炎ともいいますね。右下腹部が「ウグッ」と痛くなる病気です。虫垂というところの具合が悪くなるんですね。

ふつうはこの病気、2.3日で治ります。手術はしますが、腹腔鏡手術というカンタンな?手術だし、入院もせいぜい1.2日で済むそうです。

「そうです」というのは、僕の場合はそうではなかったわけです。入院期間はなんと3週間。はてなぜそんなことになったのか…という話です。

 

※このテーマでは、お下品なお言葉がところどころ出てきます(う〇こ、ち〇ち〇)。そういったワードが苦手な方は、読むのをご遠慮ください。

 

 ことの起こりは6月下旬ごろ。まだまだ大学の新入生感が抜けきっていない頃です。特に進学した大学にもともと友達がいたわけでもなかったので、とりあえず知り合った人に「ウへへ…LINE教えてくれないかな」みたいなことをしてたころですね。きもちわる。

 

そんなある日ふと、なにやらお腹に違和感がありました。

 

「…?」

なんかちょっとズキズキする。すこし痛い。

「お腹壊したな…」

 

僕はなかなか昔からブリブリブリクソンで、お腹をよく下していました。そんなよく食うわけではないんですけど、お腹が痛くなって下痢が…みたいなことがよくありました。

 

そう、最初はお腹をいつものように壊したと思っていたんですね。

ま、お腹を壊したときは寝るに限ります。

大学進学と同時に一人暮らしを始めていたので、とくに誰に言うでもなく布団にモゾモゾ。トイレでいろいろ出し切って、たいてい1.2時間寝れば腹痛は収まってくるものです。

 

 で、起床。

 

「ありゃ、まだ痛いな…」

 

うーんあんまり収まりません。しょうがない、今日はずっと寝ることにしましょう。ということで風邪をひいたときのように1日中寝ることにしました。

 

--翌日--

 

で、翌日。

「まだ痛いやないかーい」

 

まだ腹痛が収まりません。こんな長引くのは珍しいな…とは思いました。「学校行くか…?」と迷いましたが、確かその日は1日休んで(というかサボって)家でゆっくりすることにしました。

どうも体温を測ってみたら、すこし熱もあるっぽい。

「うーんもしかして腹痛じゃなくて、夏風邪か?」

 

新学期始まって数か月、新生活に慣れずに体調を壊してきた記憶はこれまでもあります。どうも大学でもそれが来てしまったのかもしれない。一人暮らしを始めて、食生活がお菓子多めになったのも関係しているのかも…とかのんきなことを思ってました。僕のサボり癖は自分のせいじゃなくて、この盲腸のせいでついちゃったんでしょうね、うん。

 

 そんで、翌日。

まだ痛みは治まらず。

「まじか!まじで風邪やん」

 

うーむ困った。今日は火曜日、第二外国語スペイン語の小テストがある。しかもスペイン語のクラスは1週間に2回あって、もう1回の金曜日のクラスも今週は小テストでした。小テストというよりは中間テストで、タイミングが同じ週にかぶっていたんですね。

 

「なんでこんなときに…!ジーザス」

入学早々、神に見放されたようです。この第二外国語は、必修科目なので単位を落としてしまうとめんどうくさい。普通の科目は点数がとれずに落としてしまっても、単純にその単位がとれないというだけで、ほかの科目をまた受けて単位をとればいいだけです。でもこの第二外国語のような必修科目は、落とすと翌年も受けなければいけないんですね。ちなみに僕は英語のクラスを1学年下のひとたちと受けたことがあります。

 

 なので1週間に2回あるスペイン語のクラス(先生はそれぞれ別)、小テストもちゃんと受けてそれなりの点数をとっておかないと単位がとれるか怪しい。つまり欠席したくない。

 

スペイン語がある日だけ行くか…」

 

強行。いや病院池。

 

若さあふれる当時、バカだったなあと確かに思います。言えば追試とかも受けさせてくれただろうに。あんなにサッポロポテト食わなきゃよかった。

しかし病院嫌いというか、なかなかお医者さんにかかろうとしませんでした。だって例えば「あなた、あと2時間でハゲますね」とか言われたら怖いし。実家にいたら病院行けと言われてたでしょうね。

 

というわけで今週は、スペイン語のテスト優先。あとは家で寝ることに決定。

 

必死にスペイン語のテストを受け、速やかに帰宅。ポカリスエットがどんどん無くなるので、買い足しにいきます。

それで自転車にまたがろうとするわけですが、このまたがる動作のときに「ングッ!!」と右わき腹が痛みます。通常、腹痛っていうのはお腹全体というか、胃のあたり?が痛みますよね。なのに「なんで右側の部分がこんな痛いんだ…?」とは思いました。しかし今はポカリだ。砂漠にさまよう探検者のように、ポカリを求めて薬局へGo。

 

この盲腸、自然治癒はあり得ません。ごく初期だと「散らす」ことができるようですが、ほとんどは虫垂を切除するという手段をとるようです。腹腔鏡手術というのは狭い部分に穴を開けてする手術のことです。

なので水曜日、木曜日、症状は治まらないまま。風邪と思っているぼくは、「なんで熱が下がらへんのや…」と思うばかり。こりゃ週末は病院か、とさすがに思いました。

 

 決戦の金曜日(かっこよく言ってるだけ)。スペイン語のクラスに必死の形相で行き、なんとか気力を振り絞って解答。終わったら即座に学校を後にします。

 

通っていた大学はけっこうクソ立地(失礼)だったので、最寄り駅からは徒歩数十分。いつもは歩いていましたが、

 

「今日は…バスを使おう…」

 

ケチンボな私ですが、さすがにお金うんぬん言ってられません。できるだけ徒歩移動なしの手段を選びます。

 

そもそもの通学ルートですが、「下宿から徒歩→A駅→B駅(乗り換え)→C駅→徒歩で大学」というようなルートでした。下宿のくせに電車で通学してて草。東京の都心の大学じゃあるまいに。

 

 今回はテストからの帰りですから、C駅までをバスで行こうとしたわけですね。

 

ところがスマホで調べてみると、なんと同じ大学前の停留所からB駅までのバスが出ているではありませんか!

 

「おお!これならC駅に行く必要がないぞ!」

 

圧倒的僥倖。そのときはこう思いました。

 

 

 

 

しかし乗ってみると、まさかの激混み。C駅までのバスだったら座れたと思いますが、B駅までのバスはなかなかの乗車率でした。

 

「ンアーッ、立ちっぱか!!」

 

心で叫びながら、B駅に到着してくれるのを待ちます。ところが。

 

「いや直線で行かんのかい!!」

 

こんなん完全に僕が調べてないのが悪いんですが、バスというのは終点まで直線でストレートに進むわけでなく、いろいろ主要地点を経由しながら向かいますよね。ぼくの行きたい駅までは、ずいぶんと遠回りをして向かっていたのでした。

 

「しまった…所要時間を全然確認していなかった…」

 

結局立ちっぱなしでひたすら耐えるという苦行になってしまいました。たぶん風神とか雷神みたいな形相になっていたと思います。

 

なんとか家にたどり着き、倒れるように寝たのは言うまでもありません。明日の土曜日はたまたま母が来てくれることになっていたので、そのとき言おう…と思って寝ました。

 

 ここまで読んでいただき、ありがとうございました。次回、いざ病院へ。

 

【59】片耳難聴のあるある

「片耳難聴」という言葉をご存じですか?

 

 「ご存じですか」というか、まあ字面を見たら意味は推測できますよね。「片方の耳が聴こえにくい、聞こえない」ってやつです。「難しい」という文字が使われていますが、僕の場合は右耳が生まれつき全く聴こえません。聴力検査をすると、右側のときの検査ではめっちゃ静かです。そんな片耳難聴だと、どんな生活なの?ということを書いて

 

いきやーすw。

 

最初に言っておくべきことは、日常生活においては大きな不便はありません。人の声を含め周りの音はもちろん聴こえます。

 

ただですね。苦手な状況というのが、ありやすね。

 

①大勢の人がいる場所

②右側(聴こえないほうの耳の側)で人が話している

 

とかですね。

 

①大勢の人がいる場所

 

 たくさんの人がいる場所…例えば数十人規模の飲み会や、イベント会場などが当てはまります。

 1つの耳で聴いているぶん、周りの音が左側に全て入ってきます。スピーカーの声を聞き取りたくても、周りの音が入ってきてとても邪魔です。まあイベント会場なんかふつうの人も音が聞き取りづらいと思いますが。

 人が多い飲み会なんか、正直苦手ですね。ただでさえ騒がしい居酒屋、10人とかだとほんとに声が聞き取れません。少人数とかせいぜい4人とかなら左側に座れば大丈夫ですが…。だから宅飲みとかのほが好きなのかも。

 飲み会でぼくが左側に座っていたら愛想笑いが多くなってるかもしれませんが、まあちょっと許してください。アハハ!

 

②右側(聴こえないほうの耳の側)で人が話している

 

 なんといってもこれ。右側に人が来ると基本 僕は滅亡します。いやそんなレベルではないですけど。ちょっと盛った。ただ、だいぶコミュニケーション機能が低下します。

 部屋とかなら全然いいですけどね。例えば渋谷の街中で左側にいたら、右側の友人の声はあんまり聴こえないでしょうね。

 

友「久しぶりやん!」

僕「ぶり食ってきたん?ええなあ~」

友「ちゃうわ、昼飯まだ食ってへんわ」

僕「バイデンとオバマか、迷うなあ~」

 

こんな感じの会話が頻発すると思います。

友人にも「??? 何をしゃべってんだ…?」という顔をされることがあります。すまんな、友。

 しかも会話がうまくいっていないということにそもそも気づかないことがある、という地獄。これが一番こわい。笑

 

 ときに、わからなかったらちゃんと聞き返す、人生で大事なことですね。しかし悲しいかな、何度聞き返してもまじで聞こえないことがあります。というか一度聞き取れなかったことに限って、聞き返しても全然わからないことありますよね。なんなんだろう。

 

○ある高校生のときの1コマ…

 5人ずつ机を合わせて、グループワークをすることに。テーマはよく覚えてません。「カレー味のうんこか、うんこ味のカレーか」とかだった気がします。

5人のときって、机を2×2にしてそのはしっこに1つ足しますね。人数が40人だったのでクラスで8つのシマができて、割り当てられた自分の数字のシマに移動。流れでぼくは5つの机のうち真ん中の席に座りました。左側に2人、向かい合わせに1人、右側に1人、という感じですね。あんまり

 

「俺を右側に座らせてくれエエエエええ」

 

ってのはいいづらいので、真ん中ならいいかあという感じで席につきました。正直、毎度毎度「こっち側に座らせてほしい」ってのも言いにくいんですよね。コミュ障なだけかもしらんけど。

 

で。グループで話し始めます。「味がよくてもうんこだったらそもそも食べる気しなくね?」「いや実際の味のほうが大事やろ」とか熱論するわけです。

 すると、ぼくの左側の男の子が机に直接鉛筆でメモを始めました。学校の机ってふつうに文字書けましたよね。ノートなかったからその男の子は机に直接書き始めたわけです。

 

 ところがですよ。それぞれクラスの人たちは指定の場所に移動したので、自分の机に座ってるわけではありません。人の机です。それを見かねたぼくの右側の女の子が、ぼくにコソッと話しかけてきました。

 

「えなたpjvmはや?た!」

ぼく「?????」

 

状況を見てその子(園子ではない)が言いたいことを理解できたらよかったんですが、なにしろぼくも駄々草で机にメモするような男なのでわかりませんでした。

「わからなかったら聞き返す」、大事なことを実行することにします。

 

ぼく「ごめん、なんて(関西弁の語尾上げ)?」

女の子「なたやまらmgtなた?n」

 

あ、だめだ。聞こえないやつだこれ

しかし大きな声で言いたくないからぼくに言ってくれたんでしょう、男には退けないときがある。なんとかもう一回!

 

ぼく「すまん、もっかいいって」

女の子「たらmgtはた!mg

 

はい降参。結局、ぼくをまたいで直接伝えてもらいました。まじでごめんなさい。

 

ちいせえことですけどね。なんか耳聴こえないのも実感するし その子にも申し訳ないし、よく覚えてますね。「あの野郎、なめやがって」と思われてたかもしれません。そんな子じゃなかったけど。笑

 

 聞き返して相手がもう一度言ってくれたらいいですが、「もういいよ」とか「やっぱええや」とか言われちゃうこともあります。なので時々、なんとか言葉を推測してうまく合わせてしまうこともあります。コミュニケーションって難しいねー。

 

 あとは、ゼミの飲み会で先生の左側に座ったとき。うん、絶望。先生が角っこで一番右側だったから、ぼくになす術はありませんでした。マンガだったら「…ッッ!!!」って描写が出るような場面。

 なんとか顔自体を右に向けて先生の言ってることを聞き取ろうとするも、無事に先生のボケを聞き取れず「もうええわw」と言われました。お世話になりました。その節は、ありがとうございました。

 

 てなわけでこういう場だと、人の話を聴いてるほうが好きです。もともとそうですけどね。あとポテトを貪る。からあげも。逃げられると思うなよお前ら。

 

 ざっとこんな感じの人生です。もうちょっとまた書いてみようかな。読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

【58】片方の目が白内障になりますた【3】

最後でございます。

 

 というわけで決戦の日である。クリニックは自宅からほど近いので付添人はなしでもよかったようだが、念には念を押して仲の良い先輩に一緒に来ていただいた。遠いところから本当に申し訳なかったが、おかげで緊張がだいぶほぐれたのも事実だった。

 

 前日と当日の朝に点眼薬を打ち、いざクリニックへ出発。受付をすまし、待合室でしばし待機。

 

 

いまはもうお盆ですけどね

 手術は受付から2時間後の予定であった。じゃあその2時間何をするのか、ジャンプでも読んで爆笑してりゃいいのかというともちろんそんなことはない。まだまだ点眼薬を打ちまくるのである。

 確か、4種類だっただろうか?5分たったらピチャッ。また5分で次のをピチャッ。これをひたすら手術前まで繰り返すのである。瞳孔を開いたままにさせる?とかいろいろと手術の前に準備が必要なのだそう。

 

 そんなに目薬を打つとなれば、まさに私の目は湖、まるでカスピ海のようにあふれんばかりのきらめき。ちなみにカスピ海がどこにあるか知らないしきれいかどうかも全く知らない。知っているのは「カスピ海ヨーグルト」はおいしいということ、ただそれだけである。

 

 とにかく潤いたっぷりだ。まさに臨戦態勢、テレビで流れている春のセンバツ高校野球を横目に緊張は高まる。

 

 で、手術予定時間の40分前ぐらいだっただろうか?看護師の方が来て、目の状態をチェックしていただいた。すると、

 

「あ、目薬効いてますね。それじゃ、この目薬はいいんでこっちをもう打っちゃってください」

 

 どうも目薬がけっこう効いてるので、ペースを早めるようだ。どうも手術は予定より早く行われそうな感じである。

 そのとき、手術室のほうから前の番の患者のご老人が出てきた。まあ見たらちょっとびっくり、なかなか立派な眼帯をつけていらっしゃる。時間は短い手術といえど、やはりなかなかすごいことをするもんだという気持ちになったのを覚えている。

 

 そしていよいよ自分が手術室へ向かう番だ。看護師さんに給食当番の帽子みたいなものを渡されて髪をガードし、いざ一人で部屋へGO。くぅ~、恐ろしいぜ!揚げパン食いてー!

 

目のレンズを変えてもワイはワイ

 

 

 5分か10分ぐらいだろうか、中の待機席で待つ。そして自分の番である。

手術室はどんな感じかというと、ドラマでよくあるようなあの感じである。バカでかいライトが「ガチャン」という音とともに光り、周りを執刀する先生、また看護師の方々が取り囲む。

 

 手術する左目以外はまず完全に覆い隠す。そして左目は、無理やりにでも開くようにする道具みたいなのをつける。さあ、後には戻れない。まあここで、「すみません、やっぱやめます!!ぼくおうちにかえりたい!!」とか言ってしまったらやばいやつである。先生や看護師の笑い声はクリニックの外どころか最寄り駅までもこだまし、きっと日が変わるまで鳴りやまない。まさに末代までの恥。そんなことは避けなければならぬ。

 

 ということで手術開始。手術中はひたすら点眼薬、というか麻酔薬?を垂れ流す。そのため、ひたすら涙を流しているような状態である。

 そして、頭上のライトはあまりに強く光る。そのため、まぶしいを通り越してもうよく見えない。なんか水の中にゴーグルなしで入ってさらに太陽光を当てられているかのようだ。天津飯、お前の頭はあまりにもまぶしい。

 

 まあ実はこのひたすら流れる点眼薬とまぶしいライトのおかげで、目は開いていても何をやっているかわからないから恐怖心は和らぐのである。執刀の道具を目なんかに向けられていると考えると恐ろしくなるが、実際はよくわからない間に終わってしまうのである。

 

 なんかよくわからんが手術は順調に進んでいる様子。ベテランオジサマ執刀医の落ち着いた声が聞こえる。で、途中で網膜のチェック。もしここで不具合があれば、大学病院に移ってもっと大きな手術を受けなければならないのだ。

 

 なにやら道具を押し当てられ、上下左右チェックしておられる。ちょっと押した瞬間に、まさに理科の写真で見たような「神経」が見えるのがこわかった。ひえ~、ニューロン

 

 そしてチェックが終わるとオジサマがぼそり、

 

「網膜は大丈夫です。このあと眼帯つけますね」

 

 うおおおおおおおおおおお!!!無事通過!私を乗せた午後3時東京発の「のぞみ」は、ついに小倉を出発し博多へ向かおうというところだ。九州の方が手を振ってくれている、ありがとう、ありがとう。どうやら末代までの恥にはならずに済みそうだ、今のところは。

 

 ということで手術は終了、左目に眼帯というか包帯をして手術室を出る。30分弱我慢していた精神は衰弱していたようだが、気分は晴れやかというもの。付き添いのせんパイにはその後ガストでごちそうになってしまった。いやはや、かたじけなし。

 

 無事自宅に帰還。まず手術当日は風呂に入ってはいけない。というか一切の水を浴びてはいけない。さらにその後一週間、顔をバシャバシャ洗うことは許されない。首から下はシャワーをして、顔はウェットティッシュでやさしく拭くだけにとどめる。乾燥肌の自分には辛いし掻きたくなることももちろん1度や2度ではなかったが、我慢して無事目が治るならばとしっかり耐えた。夜はプラスチック製の簡単な眼帯でガード。できるだけ快適に寝られるようにこころがける。

 

 ちなみに手術後つけられた眼帯は、翌日の診察ですぐに外してもらえる。あまりに普通に外されてびっくりする。

 

 「はいじゃあ外しますね~」

 

おお軽い。こんな軽いノリで外してもらえるものなのか。そして光が入ってくるとーー

 

 

!!!!!!!!!

 

おお、見える、見えるぞ!!くもりなき世界!銭湯じゃない!

 

 実際にはしっかり視力が安定するまでは1か月ほどかかるのだが、とにかくちゃんと見える!しかも視力自体は手術前よりよくなっている。まあそれで0.3ほどだが、自分にとっては十分だ。

 

 これはしょうがないことだが、手術後の目というのは遠視のような状態になる。要するに老眼である。まあもともと「おじいちゃんみたいだね」といわれるぐらい老けてるし、むしろ目が体に追い付いてきたと言っていい。右目は正常なので、そんなに大きく影響があるというわけでもない。

 

 かくして、私の左目は復活いたしました。手術をしてくださったお医者サマには本当に感謝、感謝である。その後の診察は、執刀してくださった先生が当たってくれたわけではなかったので、直接お礼をもう上げることはできなかった。「オジサマに『ありがとうございました』とお伝えください」と頼んで、3か月の術後の点眼薬を打つ期間も終了。完全復活というわけである。

 

 実は夜などになると、左目にわっかみたいなものがかすかに映ることがある。これは「フレア」と呼ばれる現象で、どうしてもしょうがないもののようだ。実際、慣れた。なにか能力を発動しているようで、自分の性格にはぴったりかも…しれない。フハハ。キモ。

 

 

 

 以上が今回の白内障発覚~治療までの流れです。私はアトピーを患っているというのも大きく関係しているでしょうが、だんだんと若い方の症例も増えているとのことです。次は右目かもしれませんしね。ま、無事なんとかなってよき、ということで。

 

 

 

 なんとここまで読んでくださったのですか。ありがとうございました。

 

それでは!

 

 

【57】片方の目が白内障になりますた【2】

はい。続きでございます。

 

 かくして、眼科に行くことを決意したわたくしでございます。なんかもう自分で調べただけでも診断結果はわかってしまっている。こうなったらお医者サマに頼ることしかできません。

 

 

あえて昭和の歌謡曲を歌っていくyoutu.be

 

 恋人よ~僕は旅立つぅ~ 眼科へと向かう列車で~~♪

 

はいそんな列車ありません。

 

 今回行った眼科は、去年もお訪ねしている。そろそろメガネもなかなか年を食ってきていたので、新しいのを購入したときだ。メガネ屋さんのすすめもあって、眼科で検査してもらい、異常なしを確認してからNewメガネを作ったのであった。

 

 今回も最初にする検査は同じである。定番の視力検査、赤と緑のやつ、濃さが均等に見えるか、みたいなやつ。そしてやはり左目の検査のときに、検査をしてくれているお姉さんが「ウ~ン」みたいな感じになる。とりあえずおかしいのは確定のようだ。

 

 で、しばし待ってお医者サマに結果を聞きにいく。

 

「ウ~ン、左の視力が上がらないですね…ちょっと目を見させてもらいますね~」

 

 そう言われて電気を消され、真っ暗な中で機械を通して眼を見ていただくと、、

 

「アッ、これは間違いなく白内障ですね!!」

 

 

はええ。まあ知ってた。ですよね。目に白いもの浮かんでるし。写輪眼。

 

 それは想像していたのだが、自分的に気になったのは「白内障の患者の平均年齢は60,70~」であること。まあ30歳?のゆゆうた氏もかかったことだし、30手前の自分もかかっておかしくはない(顔は老け顔であるが)。中学生のときのあだ名に「おじいちゃん」てのもありましたしね。

 

 なにかはっきりとした原因があるのだろうか?というわけで聞いてみた。

 

 

白内障ってなにかはっきりとした原因はあるものなんですか?」

 

 「一般的には老化現象の一種みたいなもんですね。誰でも年いけばかかるものです。ですが、秋吉さんの場合はアトピーだと思われますね」

 

おほ?なんとアトピーが関係あったか。トゲピーもびっくりである。

 

 「アトピーの方は、日中起きているときに掻きたい衝動を抑えられても、夜中につい無意識にかいてしまうということがあります。それで目をゴシゴシすると、悪影響が出てしまうわけです」

 

 ははあ、なるほど。確かに朝起きたらかいた痕があるというのはよくある。人と寝るときは「睡眠の邪魔になるほどの音をたててかきませんように」と願いながらいつも寝ている。しかしどうしても難しいのも事実だ。

 

 それと先生は言わなかったが、昔から左のほうが視力が弱かったのも多少は関係あるんではないだろうか?そもそも左君は弱いのかもしれない。

 

 「まあ手術ですね。大丈夫です、今はパパっとやって治りますから」

 

後にもわかることだが、白内障の手術というのは本当に短いものである。だいたい今は15~30分ぐらい。医療の技術も進歩し、症例ももちろんたくさんあるので安心感はバツグンである。

 

 といっても、やはり目をいじるというのは恐ろしい話である。最初に白内障の手術した方はどんな感じだったんだろう。「キエエエ~、目んたまいじるでぇ」みたいな感じだろうか。

 

 で、診察をしてもらった医院では手術をしていないので、近隣の手術をしているお医者さんを紹介してもらう。2択だったが、どちらでもよかったので目についたほうを選択。この道のベテランのオジサマがやっているクリニックだそうだ。

 

「今日まだ診察の時間内なので、今からでも行けると思いますよ。行きます?」

 

もちろん行きやーす。会社にはとりあえず病状の報告をして、いざ紹介していただいたクリニックへ向かう。

 

youtu.beテンションはこの時の声ぐらい低い

 

徒歩ですぐにクリニックに到着。受付にはさきほどの診断結果を伝えたうえで、いちおうもう一度検査。左目の見えなさに落胆する。

 

 しかしまあ、見えない時の視力検査って本当にしんどいものだ。やはりキライ。小学校のときにジャングルジムで遊んでいたとき、ふと友達に「はぁ、6ヶ月後に視力検査あるんだぜ」となぜか急に言ったのを思い出す。心配性もいいとこである。そんなことより次のテストの心配でもしてろ。

 

 かくして本日2度目の検査を終了し、先生と面談。

 

 「白内障ですね。うん。」

 

オジサマは淡々としていらっしゃる。さすがベテラン、幾度となく同じ手術をしてきた方だ。その態度に謎の安堵感を覚えてしまう。

 

 目の模型を使って病気について説明してもらう。

白内障の手術というのは簡単に言えば、見るためのレンズが濁っているのでとりかえるというものだ。おお、文字にすると簡単である。言語とはすばらしい。濁っているから取り換える。うん、、そうだね。。

 しかし実は恐ろしい話だ。その濁りを外部から取り除く方法というのはないので、目のパーツを取り替えますよ、ということ。ほあーwすごいことするもんだ。

 

 

で、パッパと手術をいつするか、という話へ。

まず新品のパーツ、レンズのことだが、これのサイズを決めなければいけない。人によってもちろん大きさが違う。これを測定するにはさらにいろいろな検査が必要らしく、それが1週間後。

 

 で、肝心の手術の日は3週間後ということになった。おそらくみなさんが思うより白内障の患者というのはいっぱいいらっしゃって、なかなかすぐに手術とはいかないものだそうだ。つまりクリニックで手術の日は、先生はひたすら白内障の手術を繰り返すわけか。うーむ、やはりお医者さんというのはすごい。到底自分には無理だ。

 

 また注意事項として、アトピーの患者は網膜剥離も併発している可能性があるということを示された。それはどうも手術の瞬間になるまでわからないものだそう。

で、だいたいはそこで処置をすれば大丈夫なのだが、数%は難しいものがある。もし残念ながらそれが判明した場合は、手術は中断して大学病院といった大きな病院で改めて手術する必要があるということだった。

それでもちゃんと手術を受ければ治るものではあると聞いたのでホッとはしたが、そんなことはやはりあってほしくないというのが正直な心境だった。

 

 

 帰り道、一連の説明を受けてグッタリしていたが、一方で「待ってしっかり手術を受ければ治る」というのがわかって安心もしていた。お医者さまにかかるのはやはり行くまではとんでもなく怖いのだが、終わった後はいやに落ち着く。

 

 というわけで決戦の日は決まった(大げさかもしれないが手術は手術である)。

 

前日と当日に専用?点眼薬を打ち、昼過ぎにいざ桶狭間!!!

 

 

 

ここまで読んでいただきありがとうございました。

 

 

つづく

 

 

【56】片方の目が白内障になりますた

 これは春の話で、結論から言うと手術してちゃんと治療は完了しております。そのいきさつを書いておこうと思います。

 

唐突に最新動画を挿入してしまうyoutu.be

 

 「おりょりょ」と思ったのは会社の健康診断のときです。視力検査でございますね。私はメガネを普段からかけておりますが、右はまずOK。

 

 ところが左。

 

 「ん???」

 

 何やら白くぼやけていらっしゃる。なんやこら?ワイの目にはそんなフィルター機能あったやろか?

いやもちろんない。この逡巡、時間にして0.01秒。視力検査をしてくださるおばさまは気づかぬ。

 とりあえずなんとか目をかっぴらいて、できるだけランドㇽト環の開いている向きを答えていく。しかし明らかに、右目のそれとは違って判断が遅い。

 

「ンア、、左すかね。。」

「エト、右、あ、上!」

 

文字にするとクッソ怪しい。もちろん実際も怪しい。さっき右目の検査で答えていたときのスムーズさはどこへ行ったのだ? オバサマもやや怪訝な顔をしていらっしゃる。

 

「以前から左のほうが右より悪いですかー?」

「そうですね、、」

 

 まあ確かに前から左右の視力には差があることはわかっていた。いつもすこし右目のほうが良く、メガネの度もその分 左を強くしてもらっていた。

 しかし何やら今回は様子が違う気がする。なんとかそれなりな感じで検査自体は終わったが、見え方に違和感があったのは間違いない。

 何というか、左目でみると縁の部分がなんとなく白くぼやけている。銭湯にいるかのようだ。この「銭湯にきた普段メガネのひと」ほど頼りない存在はこの世になかなかいない。メガネを外し脱衣所から浴槽へのドアを開けたはいいものの、低い視力に対しているのは湯気でモワモワ♨した世界。いったいどこが通路で、体洗うのはどこで、浴槽はドレジャ???みたいな状態である。その瞬間は世界で間違いなく1番弱い自信がある。

 

 しかもどうもピント調節機能もずいぶんと弱いようだ。左目だけでみると世界がぼやけている。

 

「なんなんだ…」

 

あとの検査はよく覚えていない。あ、身長はなぜか縮んでいたのは覚えている。ハイ?

 

 力なく検査会場をあとにする。

 

 これ難しいのが、普段の生活はもちろん両目を使って生活するという点。そうすると片方がおかしくても、もう片方がけっこう補ってくれる。なので、正直 日常生活であまり困ることはなかったし、それまで左目だけでみると違和感があることに気づかなかった。人間の構造に助けられていたっちゃいたのである。うーむホモサピエンス目玉おやじって大変なんだな。

 

 ということで検査後にすぐ眼科に行ったというわけではなかった。おかしいなら視力検査で何やらひっかかるものではないかとも思っていたので、一応 通過したから「そういうもんかね、左目だけ視力下がっちゃったのかな」とそのときは納得してしまった。というか無理に納得してしまった。

 

 しかし正直、モヤモヤがなんとなく消えなかった。左目のモヤモヤも、心のモヤモヤも。このモヤモヤは単純な足し算ではなく、掛け算であるモヤモヤ×モヤモヤ。うお、これは「モヤモヤさまぁ~ず」よりモヤモヤしてそうだ。今なら三村さんと大竹さんが、「君、いいモヤモヤ持ってるね」と言ってくれそうだ。もちろん意味不明である。

 

 そんなとき、YouTubeを見ていると、普段からよく見ているこの方の動画を見つけた。

 

www.youtube.com

 

 お、「ゆゆうた」氏だ!華麗にピアノを弾けるのに、全力でネタ路線へ突っ走っていく彼が私は大好きである。

 

 で、見ていると、関連動画にこれがあがってきた。

 

www.youtube.com

 

そういや、なんかしばらく前に「手術うんぬんかんぬん」みたいなこと言ってたな。確か目の病気じゃなかったか?

 

 ということで視聴してみた。

 

 …。

 

 ……。

 

 ………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これ、俺の症状と同じちゃうか!??」

 

 どうもゆゆうた氏は、視界がぼやけてきてピアノを弾くのに支障がだいぶでてきたそうである。それで手術する決心をしたとのこと。

 

もしや。

 

 自分も右目にフタをしてみて、左目だけで見てみる。ウーム、まさにゆゆうた氏の言っている状況と酷似しているようだった。視力が下がったというより、目 自体の機能がどうもうまく働いていないのではないか。

 

 そしてなんとなく手鏡で目を見てみると、びっくり仰天。

 

なんか白い綿みたいなのがうっすらと浮かんでいるではないか!!!!

 

「ほあーーーーーーーー!!!!!!」

 

自分が太平洋沖に一人で浮かんでいたならば間違いなく全力で叫んでいた。日本の九十九里に漁にでているおっちゃんも、ハワイでゆったり過ごしているお姉さんも「うるせえよ」とつぶやくレベルである。

 しかしそこはアパートの一室だったので、思わず戦慄するだけだった。漫画とかでよく見る「…ッッ!!」という感じ。

 

調べてみると、それなりに症状が進行していると、目に見えて視界をぼやけさせているものが認識されるようになってくるとのことだった。

 

「これは、、白内障かもしれんなあ。。」

 

と深く落ち込んだのは言うまでもない。だってゆゆうた氏なんか手術するとか言っている。どうも点眼薬などで治療できるものではないらしく、完全に復帰させるためには手術をするしかないのだ。

 

 

 というわけで、まずは近い眼科に行って診断を受けることにした。

 

つづく

 

 

 

ここまで読んでいただきありがとうございました。